2010年08月15日
戦争被害者

(BGM Imagine by John Lennon ※音量は控えめに!)
本日もお越し頂きありがとうございます
少々重い記事です (釣りは全く出てきません)
毎年この時期になると〝戦争〟を題材にした番組が数々放送される
過去の過ちを繰り返さないように、決して忘れてしまうことのない様に
平和な現代に生きる我々に警鐘を鳴らす意味も込められているのだろう
先日、カーラジオに耳を傾けていると、こんな言葉が流れてきた
「過去の事実が〝史実〟に変わりつつある」
戦争をじかに体験した人々が少なくなり、歴史の一つになりつつあるという意味だ
戦後65年が経過し、当時兵士として戦地に赴いた人が
一人また一人とこの世から居なくなる
時代の流れには逆らえない故に、どうしようもないことではある
だが、歴史上の出来事の一つにしてしまうには、まだ早いような気もする
私の年齢は38歳ということは以前どこかに書いた
私は昭和47年にこの世に生を受けた
戦争が終わったのが昭和20年
それからわずか27年後に生まれたことになる
私が今日まで生きてきた38年間よりも11年も短い年月である
私が生まれた昭和47年からみて
そんな近い過去に戦争があったことになる
私はなぜか、昔から戦争関連の番組を見るのが好きで
毎年のようにそういった番組に目を通す
ここ近年で、番組の内容にも少々変化が見られる
今まで口をつぐんでいた旧日本兵だった人々が
自分が歳をとると共に、今まで明かされなかった事実を語り始めている
戦争という狂気の世界で行われた、日常では考えられないような
惨たらしい殺戮の事実を、涙ながらに語る姿に
今まで誰にも言えず自問自答を繰り返してきた苦悩が見て取れる
この人たちの長い長い苦悩の日々を
我々は無駄にしてはならないと、改めて考えさせられる
そんな想いが、毎年この時期になると私の胸に去来する
また、この時期になると、私は祖父のことを思い出す
私の祖父も戦地に赴いた一人である
幸いにして、生きて日本の地に帰ってくることができたのだが
私は子供の頃、祖父から戦争の話をよく聞かされた
聞かされたというよりも、興味本位に私が聞かせてくれとせがんだ方が正しい
だが、祖父は嫌々語るのではなく、戦争のことを聞きたがる我が孫に対して
喜んで話してくれていたように記憶している
それは、私の父と祖父との間柄にも関係していることでもある
父は昭和16年の9月に生まれた
そのわずか3ヵ月後の昭和16年12月8日
太平洋戦争が始まる
祖父は善通寺を本拠地とする歩兵第55師団の一員として
ビルマ戦線に送り込まれることになる
後に調べてみると、この第55師団はインパール作戦の前哨戦の
アキャブ作戦に参加し、華々しい戦果を挙げているが
第2次アキャブ作戦では全く逆の結果で、散々な敗北を喫している
その後、インパール作戦は大失敗に終わり、撤退に告ぐ撤退を余儀なくされ
撤退の途中、多くの兵が戦火に、飢えに、病に倒れていくことになる
祖父もその凄惨な撤退の現場に居た一人である
祖父は衛生兵として最前線の真っ只中にいた
一般的に、衛生兵は後方に居て負傷した兵の看護に当る
そんなイメージを持つ人が多いかもしれないが
実際は戦闘の真っ只中で負傷者が出る度に、負傷者の元に呼ばれ
その場で応急手当をする
分かりやすく言えば、撃たれたその場に行き止血したりするのだから
まさに銃弾や砲弾が頭の上を飛び交っているド真ん中にいるのである
そして祖父も遂に、銃弾に我が身を傷つけられることになる
祖父の太腿には大きな傷があった、銃創である
撤退のさ中、銃弾に倒れた祖父は、上官から自決用の手榴弾を手渡されたという
「残念だが、貴様をここに置いていく」 そんなことを言われたらしい
だが、そこに運良く通りがかった同郷の兵士が
「この人には大変世話になったから、私が背負ってでも連れて行く!」と言い
命拾いをした
祖父は米穀店を営んでいたが、そこに丁稚奉公に来ていた人が
たまたま通りがかった同郷の兵士である
こうして翌年、祖父は無事に日本に復員することを得た
父はこの時5歳
生まれてこの方、父親の姿を見ずに育ってきた
突然帰ってきた疲労しきった祖父を見て
「このおっちゃん誰?」と言い
自分の父親だと知ってからも、なかなか懐かなかったという
昨年TVドラマにもなった山崎豊子原作の「不毛地帯」の中にも
そんなシーンが出てきたが、
まさに現実のものとして、そんなシーンが展開されたのだ
その後、父の下に二人の弟が生まれたが、
祖父は二人の弟を可愛がったが、なかなか懐こうとしない長男には
他の二人と同じようには愛情を注ぐことをせず
なにかとキツク当ることが多かったという
これは祖母から聞いた話なので、恐らく間違いのないことだろう
そんな微妙な親子関係にはやがて大きな亀裂が生じてきた
父が中学だか高校だかの時、祖母と二人で家を出ようとしたことがあるらしい
その時はどうにか踏みとどまったものの、
親子の間に大きな確執ができてしまった
父に対しては何かと厳しく当る祖父も、私に対しては、どこにでもいる好々爺だった
一緒の布団に潜り込み寝ることを、とても喜んでくれたことを鮮明に覚えている
そんな孫の私が、戦争の話を聞かせてくれというのを、祖父が嫌がるはずもない
戦争の恐ろしさ、戦時中の苦労話などを、幼い私に詳しく、そして優しく教えてくれた
今にして思えば、そんな祖父の姿を父はどういう思いで見ていたのだろうか
もしかしたら、私が祖父にせがんだように、
父は祖父から戦争の話を聞いてみたかったかもしれない
そして祖父が私に注いでくれた愛情を、本来は父が受けるはずだったのだと
最近は、そう思うようになってきた
父はきっと愛情に飢えていたのではないだろうか
手放しで孫を可愛がる姿に、もしかしたら羨ましさすら感じていたかもしれない
父の下の弟二人は、親元を離れ生活をしているが
父は一人地元に残り、自分の両親の面倒を見続けてきた
たとえ馬が合わない親父であっても
今はもう祖父母ともに他界してしまったが
結局、最後まで父は両親の世話をし続けた
そして、最後までわだかまりが解けずじまいだった
祖父が息を引き取る時、父はその場に居合わせることはできなかったが
職場から急いで駆けつけ、祖父の亡き骸に対面し大粒の涙を流した
父が涙を流したのを見るのは、初めてだったと思う
その時の父の表情は、なんとも複雑なもので
きっと、本当は仲直りをしたかったんじゃないか、そんな風に思えた
65年前の戦争が、父と祖父との関係を壊し
一生涯修復することができなかった
そんなことを思うと、戦場で闘った祖父はもちろんのこと
父もまた、戦争の大きな被害を受けた 〝戦争被害者 〟に違いない
祖父が他界した後に、祖父の持ち物を整理していた時
思いがけない物が出てきて、親戚一同が驚いた
戦争に行くときに持っていく(置いていく?)小さな巾着袋が見つかったのだ
その中には、爪、遺髪、そして遺書が入っていた
遺書の中身にはおおよそ次のような事が書かれてあったと思う
(文体は昔の ○○スルベシ みたいなやつ)
私が死んだら、家の事は○○(父)にすべて任せる
母と姉のことを頼む
○○(姉)は勉学に励むこと
辞世の句 (内容は覚えてません)
あの時代の一商家の人間だった祖父が
どこでどう習ったのか、立派な達筆でしたためてあり
その場に居た一同が、祖父を偲び、祖父を誇りに思った
まさか戦争に行くときに書いた遺書が
こんな形で家族の目に触れることになろうとは
祖父も思いもしなかったことだろう
Posted by simesaba at 19:13│Comments(8)
この記事へのコメント
こんばんは。
とても心に響く内容で、思わず見入ってしまいました。
僕は昭和44年生まれですから、24年程前の出来事。
24年と言う年月が長いのか短いのはは
人それぞれかと思いますが、現在から24年前は
何してたろう・・・何があっただろう?と考えると
そう遠く無い様に思えます。
その遠く無い時代に焼夷弾に焼かれ、苦しむ人々
が居たかと思うと、とても不思議で仕方がありません。
自分父も幼少の頃、空襲に逢い、焼け野原となった
東京を彷徨った経験があるそうです。
太平洋戦争もいずれは中世の戦いの様に、歴史の
中で知るしかなくなる時代が来るのですね。
そう思うとなんだなんだかやり切れない思い出
胸が苦しくなります。
唯一の被爆国「日本」
以前、広島の原爆ドームの前に立った時、思わず
手を合わせる自分がいました。
この悲惨さを世界に向けて・・いえ、自分の子供に
語り継いで行きたいです。
とても心に響く内容で、思わず見入ってしまいました。
僕は昭和44年生まれですから、24年程前の出来事。
24年と言う年月が長いのか短いのはは
人それぞれかと思いますが、現在から24年前は
何してたろう・・・何があっただろう?と考えると
そう遠く無い様に思えます。
その遠く無い時代に焼夷弾に焼かれ、苦しむ人々
が居たかと思うと、とても不思議で仕方がありません。
自分父も幼少の頃、空襲に逢い、焼け野原となった
東京を彷徨った経験があるそうです。
太平洋戦争もいずれは中世の戦いの様に、歴史の
中で知るしかなくなる時代が来るのですね。
そう思うとなんだなんだかやり切れない思い出
胸が苦しくなります。
唯一の被爆国「日本」
以前、広島の原爆ドームの前に立った時、思わず
手を合わせる自分がいました。
この悲惨さを世界に向けて・・いえ、自分の子供に
語り継いで行きたいです。
Posted by rio at 2010年08月15日 20:32
こんばんは
日本の人にとっては戦争は“異常・狂気”
であったと聞いたことがあります。
なので戦後口を開きたがらないと…
戦場に赴かれた人の事を思うと本当に胸が痛くなります。
子供の親父となった今は余計です。
上官は部下を信用しないから
“生きて虜囚の辱めを受けず”
と強要する。
兵士の命を何とも思わない作戦。
卑怯者の烙印を押される原因となった、
アメリカ駐在員達の怠慢、
その後、責任も取らずにさらに昇進している。
などなど、とんでもない話が多いなか、
父は息子は兄は弟達は文句も言わずに
国のため、家族のために戦地に赴いた、
ほんの65年前の話。
ぜひ語り継いでいきたいと思います。
今回は貴重なshimesabaさんのお祖父さんのお話を知る事ができて本当に良かったと思ってます。
人の歴史は戦争の歴史と言っていいほどですが、
いつか平和な世界がくると信じたいです。
日本の人にとっては戦争は“異常・狂気”
であったと聞いたことがあります。
なので戦後口を開きたがらないと…
戦場に赴かれた人の事を思うと本当に胸が痛くなります。
子供の親父となった今は余計です。
上官は部下を信用しないから
“生きて虜囚の辱めを受けず”
と強要する。
兵士の命を何とも思わない作戦。
卑怯者の烙印を押される原因となった、
アメリカ駐在員達の怠慢、
その後、責任も取らずにさらに昇進している。
などなど、とんでもない話が多いなか、
父は息子は兄は弟達は文句も言わずに
国のため、家族のために戦地に赴いた、
ほんの65年前の話。
ぜひ語り継いでいきたいと思います。
今回は貴重なshimesabaさんのお祖父さんのお話を知る事ができて本当に良かったと思ってます。
人の歴史は戦争の歴史と言っていいほどですが、
いつか平和な世界がくると信じたいです。
Posted by ひでっち at 2010年08月15日 21:05
>rioさん、こんばんは。
とても重い話題を書いてしまい申し訳ありません。
ただ、今日は終戦記念日。
一年に一度くらいは、戦争の愚かさを真剣に考える日があっても
いいのではないかと思い、記事にしました。
私達が生まれるほんの30年足らず前に、
世界中が戦争をしていた時代があった。
たったの30年。
私達の世代も戦争を経験していない世代ですが、
戦争を経験した世代の人から直接話しを聞くことができた世代でもあります。
そして今、戦争があったことを知らない若者が増えていると聞きます。
祖父母の代から戦争の話を直接聞いた最後の世代の私達は、
後世にしっかりと伝えていかなければならない義務があると思います。
それが戦争で命を落とした人たちに対して、
私達が果たす責任のようにも思えます。
とても重い話題を書いてしまい申し訳ありません。
ただ、今日は終戦記念日。
一年に一度くらいは、戦争の愚かさを真剣に考える日があっても
いいのではないかと思い、記事にしました。
私達が生まれるほんの30年足らず前に、
世界中が戦争をしていた時代があった。
たったの30年。
私達の世代も戦争を経験していない世代ですが、
戦争を経験した世代の人から直接話しを聞くことができた世代でもあります。
そして今、戦争があったことを知らない若者が増えていると聞きます。
祖父母の代から戦争の話を直接聞いた最後の世代の私達は、
後世にしっかりと伝えていかなければならない義務があると思います。
それが戦争で命を落とした人たちに対して、
私達が果たす責任のようにも思えます。
Posted by simesaba
at 2010年08月15日 22:23

>ひでっちさん、こんばんは。
戦争は狂気、異常以外の何物でもありません。
国中が洗脳と麻痺により、一時的に感覚が狂っている状態であり、
軍部による恐怖政治に従わざるを得ない状態だったことに、
本当は誰もが気付きながらも抗うことができなかったことが、
最近の元兵士の発言で見て取れます。
あの時代の人々も、異常だということを感じていたのだと思います。
仰るとおりで、正に人の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありません。
でも、戦争の歴史はそろそろ終わりにしなければならないのではないでしょうか。
これからの歴史は〝文化の歴史〟になるように・・・
戦争は狂気、異常以外の何物でもありません。
国中が洗脳と麻痺により、一時的に感覚が狂っている状態であり、
軍部による恐怖政治に従わざるを得ない状態だったことに、
本当は誰もが気付きながらも抗うことができなかったことが、
最近の元兵士の発言で見て取れます。
あの時代の人々も、異常だということを感じていたのだと思います。
仰るとおりで、正に人の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありません。
でも、戦争の歴史はそろそろ終わりにしなければならないのではないでしょうか。
これからの歴史は〝文化の歴史〟になるように・・・
Posted by simesaba
at 2010年08月15日 23:03

どもも。
そうですね、少なくともこの時期だけは戦争を忘れない
でいるべきなんですよね。
おそらく今の若者の中にはなんで黙祷しているのかわからない人もいるでしょう・・・。
それは確実に戦争が歴史になりつつあるからなんですよね、悲惨な状況が語り継がれない、これは平和ボケした日本のちょっとした危機ですね・・・。
われわれ世代は、爺さんの痛々しい傷あとや、ばあさんの戦時中の食生活など少なからず見たり聞いたりできております。
このようなことがこれからの若者には・・・。
ドラマや映画等の映像で伝えていくしかないのでしょうかね・・・中には残酷な戦争を生々しく表現した映画もありますからね。しかし、映倫とやらが邪魔してR指定なんていうアホなことするから・・・。
見なきゃならん人が見れない、これじゃあ戦争が忘れ葬られるのも時間の問題です・・・。
そうですね、少なくともこの時期だけは戦争を忘れない
でいるべきなんですよね。
おそらく今の若者の中にはなんで黙祷しているのかわからない人もいるでしょう・・・。
それは確実に戦争が歴史になりつつあるからなんですよね、悲惨な状況が語り継がれない、これは平和ボケした日本のちょっとした危機ですね・・・。
われわれ世代は、爺さんの痛々しい傷あとや、ばあさんの戦時中の食生活など少なからず見たり聞いたりできております。
このようなことがこれからの若者には・・・。
ドラマや映画等の映像で伝えていくしかないのでしょうかね・・・中には残酷な戦争を生々しく表現した映画もありますからね。しかし、映倫とやらが邪魔してR指定なんていうアホなことするから・・・。
見なきゃならん人が見れない、これじゃあ戦争が忘れ葬られるのも時間の問題です・・・。
Posted by ライポウ
at 2010年08月16日 09:57

>ライポウさん、どもも。
平和ボケした国民は、やがて戦争の愚かさを忘れた国民に成り果て、
遂には再び戦争を始めてしまうのではないでしょうか。
平和ボケ=戦争の始まり
〝歴史は繰り返す〟と言う言葉をよく耳にしますが、
歴史にしてしまうから繰り返されるので、
事実をリアルに伝え続けることで、
歴史に風化させないようにする必要があるのではないでしょうか。
平和ボケした国民は、やがて戦争の愚かさを忘れた国民に成り果て、
遂には再び戦争を始めてしまうのではないでしょうか。
平和ボケ=戦争の始まり
〝歴史は繰り返す〟と言う言葉をよく耳にしますが、
歴史にしてしまうから繰り返されるので、
事実をリアルに伝え続けることで、
歴史に風化させないようにする必要があるのではないでしょうか。
Posted by simesaba
at 2010年08月16日 12:26

毎度です!
うちの爺さんの兄貴はまさに戦争に駆り出された後に
戦死した中の一人です。
たしか二十歳になる前にあの世へ逝ってしまったので
遺影の顔が若く、自分の幼い頃は「この人は誰?」って
爺さんに聞いた覚えがあります。
兵士にフォーカスを当てた戦争映画は
いくつか観たことがありますが、
本当はもっと悲惨な状況だったのだと思います。
それに伴いいつ帰ってくるかも分からない
父親や夫、また恋人を待つ人たちも
戦うことが出来ずに逃げるしかない状況も
さぞ悲惨だったと思います。
これが現実に起こったことを忘れてしまったら
またどこかで悲しい歴史が作られてしまいそうなので
語り継いで行かなくてはいけませんよね。
長々とすみません。
うちの爺さんの兄貴はまさに戦争に駆り出された後に
戦死した中の一人です。
たしか二十歳になる前にあの世へ逝ってしまったので
遺影の顔が若く、自分の幼い頃は「この人は誰?」って
爺さんに聞いた覚えがあります。
兵士にフォーカスを当てた戦争映画は
いくつか観たことがありますが、
本当はもっと悲惨な状況だったのだと思います。
それに伴いいつ帰ってくるかも分からない
父親や夫、また恋人を待つ人たちも
戦うことが出来ずに逃げるしかない状況も
さぞ悲惨だったと思います。
これが現実に起こったことを忘れてしまったら
またどこかで悲しい歴史が作られてしまいそうなので
語り継いで行かなくてはいけませんよね。
長々とすみません。
Posted by カブ at 2010年08月17日 09:47
>カブさん、こんにちは!
私が子供の頃、友達の家にも若くして戦死された方の遺影がありました。
一つは少年飛行兵、もう一つは満州でソ連軍に囲まれて亡くなったそうです。
私自身が幼かったため、ものすごくお兄ちゃんに見えましたが、
今そんな人たちの顔写真を見ると、なんて若くして亡くなったんだ!
という思いばかりが沸き立ってきます。
そして、父親や夫の帰りを、今か今かと待ち侘びるのは
さぞかし辛く長い時間だったことでしょうね。
戦いに行く兵士も、待ち侘びる肉親も、みんな被害者なんですよね。
今日はもうお盆休みが明けてしまいましたが、
また1年、戦争のことが語られない時間が、
どんどん戦争を風化させてしまうのですね。
それもまた悲しい現実です・・・
私が子供の頃、友達の家にも若くして戦死された方の遺影がありました。
一つは少年飛行兵、もう一つは満州でソ連軍に囲まれて亡くなったそうです。
私自身が幼かったため、ものすごくお兄ちゃんに見えましたが、
今そんな人たちの顔写真を見ると、なんて若くして亡くなったんだ!
という思いばかりが沸き立ってきます。
そして、父親や夫の帰りを、今か今かと待ち侘びるのは
さぞかし辛く長い時間だったことでしょうね。
戦いに行く兵士も、待ち侘びる肉親も、みんな被害者なんですよね。
今日はもうお盆休みが明けてしまいましたが、
また1年、戦争のことが語られない時間が、
どんどん戦争を風化させてしまうのですね。
それもまた悲しい現実です・・・
Posted by simesaba
at 2010年08月17日 10:01

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